ユーザは正しい

世界を変えることをやりたいなら、普通の人が使いたがるソフトを作ることだ。マネージャたちが導入したがるソフトじゃなくて。

「グループウェア」だとか「エンタープライズ」なんて言葉が出始めたら、それは二番目のやつだ。官僚どもの永遠に続く会議が策定したチェックリストの細目を埋めるために機能を増やし、外野が決定する仕様のためにコーディングする羽目になる。どこかの企業が100「シート」くらいは買いたがるかもしれないが、誰も夢中になんてならない。そんなモチベーションでは誰もセクシーだなんて思わないし、誰ひとりしあわせにすることだってない。

笑える話だっていったけど、もちろん面白いのはここじゃない。悲しいのが笑えるんじゃなければ。

ともかく、Natにこんな話を延々と言い立てた。Natの話を聞いた企業内の人間は全員「フリーのグループウェア、うん、すばらしい!」と答えただろうが、そもそもそんなものをオープンソースで出そうなんて考える価値すらない。なぜなら、そんなものが「痒いところに手を伸ばす」タイプの開発者たちに支持されることなんて絶対にありえないからだ。そんなプロダクトでは、地下室にこもったティーンエージャーがただそれがクールだからとか、実際に便利だからという理由でハックすることなんてない。もしかしたらIBMが開発者一人か二人に小銭をやって手伝わせるかもしれないが、それは誰かに書かせた方がよそから製品を買うよりも安上がりかもしれないというだけだ。だがグループウェア製品じゃ、金も貰わずに開発したがるやつなんていない。そんなもの個人にとっては根本的に面白くないからだ。

だから狙いを絞るようにいった。「ユースケース」に想定すべきは、大学の寮に住んでる22歳の学生だ。そのソフトでどうやって女(男)とやれるか?

いきなり三つめの頭を生やしたみたいな目で見られた。だが考えてくれ、これは露骨だけど鋭いところをついてると思う。「このソフトは、ユーザがやれる相手を見つけるのにどう役立つか?」これこそ、ソーシャル・ソフトウェアの開発者全員が意識すべきことだ(そして最近のソフトはほとんど全部ソーシャル・ソフトウェアだ)。

人を幸せにするいろんなことをもっと簡単にするのが「ソーシャル・ソフトウェア」だ : 人と会うこと、交流すること、付き合うこと。